1992-03-23 第123回国会 参議院 予算委員会 第7号
○国務大臣(奥田敬和君) 信楽高原鉄道の事故は史上空前とも言うべき最近の大変な悲惨事でございます。死傷者も多く、したがって原因究明の調査が今進められて、近いうちに結論が出る段階にまいっております。
○国務大臣(奥田敬和君) 信楽高原鉄道の事故は史上空前とも言うべき最近の大変な悲惨事でございます。死傷者も多く、したがって原因究明の調査が今進められて、近いうちに結論が出る段階にまいっております。
広島、長崎に対する原爆投下は、人類史上類を見ない未曾有の悲惨事であり、放射能と熱線と爆風により、大量無差別に幾多の生命を奪い、想像を絶する生き地獄をもたらしたのであります。また、辛うじて死を免れた人たちも、生涯消えることのない傷痕と原爆後遺症に苦しみ続け、今日まで、やっとの思いで生きてきたというのが実態であります。
人類史上最大の悲惨事であるこの原爆の四十年間の経緯というものを調査し、一つのものに総合してこれをまとめていくという、恐らく総合的な意味のお話であったのではないかと思うのでございますけれども、具体的に死没者についての調査というものは、私が大臣に就任して当局から説明を受けておる段階では、戦後四十年たってしまったので、これは技術的に、現実的に、物理的に、その正確な調査というものは極めて困難であると、そういう
最後に、今日までの御支援に対し深く感謝を申し上げ、二度とこのような悲惨事を繰り返さないということを全組合員を代表しかたくお誓いを申し上げまして、私の意見とさせていただきます。 ありがとうございました。
行革デフレというものは大変な問題である、これは不満や悲惨事の発生に対して精力的に、ときには冷酷と思われるほどのエネルギーを結集して守り抜かなければできないことであると申しました。わが国におきましても、御承知のように、明治の松方デフレは、天皇陛下に松方さんが五年間の期間を与えてもらうことを一札とって、その上でやったのであります。
○国務大臣(村山達雄君) わが国は唯一の被爆国でありまして、そしてまた原爆というものが投下されたことによって非常な悲惨事を受けたのでございます。私ごとでございますが、私は当時戦地におりまして、翌日すぐこのニュースは入ったのでございます。原爆じゃないかというのがすぐわれわれの間で評判になったわけでございますけれども、帰ってみまして、この悲惨な状況に本当に目をみはる思いがいたしたわけでございます。
本当に相次ぐこういうふうな悲惨事というものが土讃線では特に多発をしておるような状態にあるわけなんです。しかも踏切事故は往々にして子供、老人に多いわけですから、これについての対策をどう考えておるのか、運輸当局の御見解を承って、私の質問を終わりたいと思います。
さて質問に入りますが、この悲惨事の原因は、雇用主であり宿舎の管理責任者である柳井建設の代表柳井武雄こと柳根作の法令無視に基づくものでございます。労働基準法、建設業附属寄宿舎規程はもちろん完全に無視されております。そのほかに消防法、職安法違反の容疑もきわめて濃厚でございます。
しかし、原子爆弾の投下という人類が初めて経験した未曾有の悲惨事に対して、本質的な問題の追求と対策が時間の経過とともにあいまいにされている現状について、まことに残念に思っている一人でございます。生き残った被爆者は、今日に至るまで原爆後遺症に悩まされ、常に死と闘って不安な日々を送っております。
その原因というのは、たとえば先般問題になりましたいわゆる香川県の小豆島におけるあの災害、内海町の中心のほうには避難体制が出たけれども、実際にあの惨事を引き起こしましたいわゆる橘地域につきましては、避難体制の連絡がおくれたか、あるいは聞いてなかったか、ああいう悲惨事が起こったわけであります。それについても予報体制とそういう町の防災体制、地方の防災体制というものがどういう連携ができているのか。
原因は、労働組合の調査によって三項目の問題点を指摘しておりますが、しかし、それもどういう理由か、炭じん爆発なのかガスが爆発したのか、全山が火の海になって焼け落ちてしまっておりますために、しかも二番方の関係者が全員死亡しておりますために、いまだもって的確な原因が明らかにされていないという悲惨事が繰り返されておるわけであります。
○説明員(磯崎叡君) ただいま国鉄事故防止に関する貴重な御決議をいただきまして、私どもこの御決議の趣旨に沿いまして再びかかる悲惨事のないようにあらゆる努力をいたす覚悟でございます。 一言、簡単でございますが、所信を述べさせていただきました。
一人の方の万一の悲惨事というものも、これは十分しなければなりません。大体におきまして、これは小型の規模におきましても、乗客の、利用者の希望によりまして、そしてほんとうにお天気のいい日ならば 〔委員長退席、理事鬼丸勝之君着席〕 安全であるというときだげやらせるというようなたてまえでいままでやっていた次第でございました。
きわめて例外中の例外で、こういうことがしばしば起こるくらいなら、さっきも申し上げるように、埋没されておる機雷を探知する機器を持った会社が日本じゅうに、この鉱工業の発進した日本に、たった一社だけということはないわけですから、全くの例外中の例外ではありますが、この悲惨事にかんがみまして、先ほども申し上げるように、急遽ひとつ横の各関係省庁と連絡をとりまして善処をすることにいたしたいと思います。
普通の火事であれば、木材だけなら、従来の概念からいけば、あのような悲惨事が起ころうとは考えられない。そこで、基本的なものとしては、消防庁にもう少し権威のある研究所をこしらえる必要がありはしないかということが一つ考えられます。
当委員会としましても、つぶさに現地を視察して、二度とかかる悲惨事の起こらないようにしなければならぬような感じがいたすわけでございますが、そういう意味からいたしますれば、最近新聞その他でも報道がございまするが、建築材におきまして有毒なものを発生させる、特に煙を多く出させるとか、いろいろな多くの問題がございますので、この対策につきましては、建設省関係あるいは自治省と消防庁だけでは対策は十分でないと思いまするけれども
私は、行ってみなければほんとうのところはわからぬと思うのだが、そうすればこういう悲惨事はなかったという断定ができますか。かぎがあってもなくてもこういうものが起こるのだ。かぎがあって、かりにあいておれば、大体こういう悲惨事はなかったのだという断定がはっきりできますか。
それから、久米島事件の問題は、先ほど山中総務長官から御答弁がありましたように、これまた残念なことでありまして、戦場の異常心理といいますか、殺すか殺されるか、生きるか死ぬかというような場面でできたあの悲惨事は、まことに思い返すだに、二度と再びこれを繰り返してはならぬということを思います。
二度と再びこのような悲惨事を繰り返してはならない、こういう気持ちで一ぱいでございます。そのためにも、総理の誠意ある答弁を期待するものであります。 そこで、今回の大惨事を引き起こした総合研究について、その計画を見てみますと、この研究は昭和四十四年度から三カ年計画で実施しているものであり、特に今回の実験はその総仕上げ段階ともいうべき重大な野外総合実験であったわけであります。
○鬼木委員 この点で論及したいのですが、いずれにしても、今回の空のああいう痛ましい、まことに私どもは何と申し上げていいかわからない、ほんとうに残念、遺憾千万な悲惨事でございますが、これは防衛庁のミスであって、防衛庁自体の考え方が非常に安易な考え方、こういうふうになりますよ。なりますよということは、これは各方面からの声であった。
だからこういう悲惨事が起こる。運輸省は大いに反省すべきだ。どうですか。
そして今日の全日空のようなああいう悲惨事をすでにここに書いてある。予言してある。これは四十五年の十一月十日に発行になっている。奥宮正武という方が「空は危険がいっぱい」ということで、今日のああいう全日空の悲惨事を想定している、必ずこういうことが起きるぞと。こういうのをどなたかお読みになりましたか。
質問の第一は、今回のような悲惨事を二度と繰り返しては相ならぬのであります。それがためには原因を徹底的に究明するということが第一であろうかと考える次第であります。しかもこの究明には特に厳正かつ科学的な立場によって結論を得るよう努力してもらいたい。これが国民の要望しておるところであると考えるのであります。この点についてひとつお伺いをしたい。
この悲惨事を再び繰り返さないために、政府、民間、協力をいたしまして、これらの事故の絶滅を期す覚悟で運輸行政に当たってまいりたいと、強く決心をしている次第でございます。まだしかし非常に微力、未熟でございますが、私はもうほんとうに、絶対に、この次には事故を起こさぬという強い強い覚悟をもって臨んでいる次第でございますので、一そうの御鞭撻をお願いをする次第でございます。
合計六名の死亡者と、十六名ですか、重軽傷者を出しておりますが、こういうふうな悲惨事というのは、路肩にとまっている車の前に置くということがずっと習慣づけられておれば、あるいは防ぎ得たかもわかりません。あるいはまた、夜間暗い国道で大きなトラックがとまっておる。それにぶつかりますと大きな事故が起こることは、これは当然でございます。